ハッピーエンドで終わらせない

悲しさの分だけ花を飾ろう

シルバニアファミリー

 

私はひとりっ子だ。

 

だから、好きなおもちゃも服も習いごとも、

私がお願いしたら何でもやらせてくれた。

 

周りよりは甘やかされて育ってきたのかもしれない。

私のお家はいつもモノで溢れていた。

だから、1つのモノにあんまり執着しないのだ。

 

 

 

 

 

話は変わるが、今年の夏くらいに彼氏が出来た。

 

正直、タイプでもなかったし、好きでもなかった。

 

でも、嫌いというわけじゃなかったから付き合った。

 

そんな恋愛もアリだと思ったから。

 

だけど、付き合うとなったら多分、

一緒にご飯を食べて、美味しかったね。バイバイだけでは済まない。

高校生じゃあるまいし。

まあ、当たり前なんだけど。わかってたんだけど。

 

 

頭でどんなにその人の良いところを挙げたって、本能では受け入れられないってことはもう、どうしようもないんだろうけども。

 

だからお別れをした。

 

その方が、お互いのためだと思った。

(そんなこと言ってるけど、8割くらいは自分のためだと思うけれど。)

 

お別れをしたことに後悔はしていない。

 

でも、何て言えばいいんだろう。

心がフワフワしているというか、在るような無いような感覚になってる。いま。

 

「あ、こんなもんか。」っていう、呆気なさに寂しさを覚えているのかわからないけど。

 

いつもそう。

一緒にいる時間には何にも見えなかったのに、

終わった後に見えちゃうの。

 

お別れをした後に、

 

「もうこれで考えなくていいんだ」ってスッキリすると思ってたのに、

 

お別れをしてから、1週間も経ってないけれど、

 

それでもその事実に少なからずショックを受けてる自分にショックを受けた。

 

私、意外と好きになれてたんだ。って。

 

自分が1番驚いた。し、笑っちゃった。

 

馬鹿みたいじゃんって。

 

 

 

おもちゃもそう。服もそう。

 

小っちゃい頃に買ってもらったシルバニアファミリーも、そんなに毎日遊んでたわけじゃなかったのに従姉妹の手に渡って、自分の家から失くなった瞬間に遊びたくなった。

 

いかにも大切にしていたみたいに。

 

本当は半年に1回、遊ぶくらいしかしてないのに。

 

シルバニアファミリーだって、半年に1回、遊ぶか遊ばないかの私のとこにいるよりも、

毎日遊んでくれる従姉妹の手に渡った方が幸せでしょ。

 

多分、いまの感情ってそんな感じ。

 

人をモノに例えんなって話だけど。

 

 

私にも出来るのかなそういうこと。

 

失くなってから気付くんじゃなくて、

 

失くす前から毎日大切に出来るようになれるのかな。

 

 

 

 

モノでも人でもそうやって、扱える人になりたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう人って素敵だよね。